麻酔科学研究日次分析
注目すべき3本の麻酔関連論文が得られた。マウスでの機序研究により、乳頭上核(SuM)から内側中隔へのグルタミン酸作動性回路がイソフルラン麻酔からの覚醒を促進することが示された。多国間大規模RCTでは、周術期の低血圧回避戦略と高血圧回避戦略の間で、術後せん妄や1年後の認知低下に差は認められなかった。気管支鏡検査の無痛全身麻酔導入を対象としたランダム化二重盲検試験では、シプロフォルがプロポフォルよりも循環動態の安定性と注射時疼痛の軽減で優れていた。
概要
注目すべき3本の麻酔関連論文が得られた。マウスでの機序研究により、乳頭上核(SuM)から内側中隔へのグルタミン酸作動性回路がイソフルラン麻酔からの覚醒を促進することが示された。多国間大規模RCTでは、周術期の低血圧回避戦略と高血圧回避戦略の間で、術後せん妄や1年後の認知低下に差は認められなかった。気管支鏡検査の無痛全身麻酔導入を対象としたランダム化二重盲検試験では、シプロフォルがプロポフォルよりも循環動態の安定性と注射時疼痛の軽減で優れていた。
研究テーマ
- 麻酔・覚醒の神経回路機構
- 周術期血行動態戦略と神経認知アウトカム
- 気管支鏡における麻酔導入の最適化
選定論文
1. イソフルラン麻酔作用における乳頭上核—内側中隔グルタミン酸作動性経路の役割
マウスでは、イソフルランによりSuMグルタミン酸作動性ニューロン活動が低下し、覚醒で回復した。SuM→内側中隔投射の光・化学遺伝学的活性化は脳波δ成分とバースト抑制を低下させ、覚醒関連の生理指標を上昇させ、覚醒時間を著明に短縮した。離散的な覚醒回路が麻酔深度と覚醒を双方向に制御し得ることを示す。
重要性: 麻酔状態と覚醒を制御する回路機序を明確化し、覚醒促進の神経調節という新たな治療標的の可能性を提示する点でインパクトが大きい。
臨床的意義: 前臨床段階ながら、SuM→内側中隔経路は覚醒促進、バースト抑制低減、麻酔中の呼吸安定化の標的となり得る。覚醒促進補助薬や閉ループ麻酔深度制御の設計に資する可能性がある。
主要な発見
- イソフルラン麻酔中にSuMグルタミン酸作動性活動は低下し、覚醒で回復した。
- 光遺伝学的活性化により脳波δ成分が低下(約51%→約32%、n=8、P=0.002)、バースト抑制比も低下(約82%→約45%、n=8、P=0.002)した。
- 活性化は瞳孔径拡大、呼吸数・血圧上昇を伴い、覚醒時間を短縮(約171秒→約60秒、n=8、P=0.007)した。
- 化学遺伝学的活性化でも同様の効果がみられ、抑制では逆方向の効果を示した。
- 内側中隔のSuM終末を刺激すると皮質・生理効果が再現され、内側中隔グルタミン酸作動性ニューロン活動が増加した。
方法論的強み
- 線維光計測・光遺伝学・化学遺伝学を統合した多角的手法で結果の整合性が高い
- 脳波・瞳孔・呼吸・血圧など多面的な生理指標と行動指標を包括的に評価
限界
- 前臨床のマウス研究であり、ヒトへの翻訳可能性は今後の検証を要する
- 対象がイソフルランに限定され、他の麻酔薬への一般化は不明
今後の研究への示唆: SuMや内側中隔の薬理学的・神経調節的介入が大型動物やヒトで安全に覚醒を促進できるか検証し、回路バイオマーカーを閉ループ麻酔制御に統合する研究が望まれる。
2. 非心臓手術後の神経認知アウトカムに対する低血圧回避戦略と高血圧回避戦略の影響
54施設・2,603例の高血管リスク患者において、術中MAPを80 mmHg以上に保ちRAAS阻害薬を一時中止する戦略は、MAP 60 mmHg以上維持で降圧薬継続と比べ、術後せん妄(7.3%対7.0%)や1年後のMoCA低下を減少させなかった。一方で、介入を要する低血圧は低血圧回避群で少なかった(19%対27%)。
重要性: 大規模多施設RCTにより、術中の高めのMAP目標やRAAS阻害薬中止が神経認知アウトカムを改善しないことを明確に示し、周術期降圧薬管理の意思決定に直結する。
臨床的意義: 本集団では、高めのMAP目標やRAAS阻害薬中止による神経認知面の利点は期待できない。せん妄予防には他の介入が必要であり、MAP設定やRAAS中止の判断は、むしろ低血圧介入の減少など血行動態安定性の観点で最適化すべきである。
主要な発見
- せん妄発生率は同等:7.3%(低血圧回避)対 7.0%(高血圧回避)、RR 1.04(95% CI 0.79–1.38)。
- 1年後のMoCA2点以上低下も差なし:37.2%対33.1%、RR 1.13(95% CI 0.92–1.38、評価完了701例)。
- 介入を要する低血圧は低血圧回避群で低い:19%対27%、RR 0.63(95% CI 0.52–0.76)。主に術中。
- 術後の低血圧は両群とも5%。
- COVID-19の影響でサブスタディ参加が低下し、1年認知評価のサンプルが予定より少なかった。
方法論的強み
- 多国間・多施設のランダム化設計、事前登録と事前規定アウトカム
- アルゴリズムに基づく血圧目標と標準化した降圧薬管理
限界
- 1年認知アウトカムの完了例が少なく(701/2603)、その解析力が低下
- パンデミックに伴う施設課題と、54施設間の不均一性の可能性
今後の研究への示唆: 固定閾値ではなく脳自己調節指標に基づく個別化MAP目標や、鎮痛・鎮静バンドル、睡眠・早期離床、非薬物療法を含む多面的介入によるせん妄予防を検証する。
3. 気管支鏡手技の麻酔導入におけるシプロフォルとプロポフォルの循環動態影響の比較:ランダム化二重盲検対照試験
250例のランダム化二重盲検試験で、シプロフォルは導入数分後の血圧安定性に優れ、注射時疼痛も軽減し、術者・麻酔科医・患者の満足度も良好であった。ラリンジアルマスク下の気管支鏡における導入薬の代替として有望である。
重要性: 高頻度の手技である気管支鏡において、プロポフォル類縁体が循環抑制と注射時疼痛を軽減し得ることをランダム化試験で示した点が重要である。
臨床的意義: 低血圧リスクが高い症例や注射時疼痛の最小化が望まれる場面では、気管支鏡導入においてプロポフォルよりシプロフォルを選択する余地がある。至適用量や安全性の汎用化は今後の検証が必要。
主要な発見
- LMA下気管支鏡の導入でシプロフォルとプロポフォルをランダム化二重盲検で比較(n=250)。
- 導入3分後の血圧がシプロフォル群でより安定していた。
- シプロフォル群で注射時疼痛が少なく、術者・麻酔科医・患者の満足度が高かった。
- 昇圧薬使用や気道関連事象も評価され、総じて循環動態への影響はシプロフォルが良好であった。
方法論的強み
- ランダム化二重盲検対照デザインで、手技麻酔として十分な例数
- 循環動態、注射時疼痛、関係者満足度など多面的アウトカムを評価
限界
- 単施設研究であり、施設間・集団間の一般化可能性は不確実
- 抽象での循環動態差の数値報告が部分的で、効果量の精査には原著参照が必要
今後の研究への示唆: 多様な処置鎮静領域での直接比較試験、用量反応検討、安全性(呼吸抑制など)の比較を高リスク集団を含めて実施する必要がある。